「京鹿の子絞」から生まれた化粧品?!「少しだけ先を行く」新商品開発のヒントと「京鹿の子絞」の未来

本記事の制作体制

熊田 貴行

BECOS執行役員の熊田です。BECOSが掲げる「Made In Japanを作る職人の熱い思いを、お客様へお届けし、笑顔を作る。」というコンセプトのもと、具体的にどのように運営、制作しているのかをご紹介いたします。BECOSにおけるコンテンツ制作ポリシーについて詳しくはこちらをご覧ください。

中谷
中谷

京鹿の子絞の老舗である「紋彩苑(こうさいえん)種田」。繊細な絞りとあざやかな色彩が魅力の和装小物を多数生み出されています。そんな伝統工芸の老舗が、京鹿の子絞とは一見無縁に思えるスキンケア化粧品の製造販売を開始しました

丸い化粧クリームの容器を手にのせた写真

今回は「紋彩苑種田」の代表である種田靖夫さんに、「京鹿の子絞」の老舗が化粧品を発売する至った経緯と新商品開発のヒント、また京鹿の子絞を未来へどう伝えていくかについてお話を伺います。

中谷
中谷

京鹿の子絞とスキンケア化粧品の関係、聞いて納得です!

参考

絞彩苑(こうさいえん)種田
天保8年(1837年)京都にて日本髪の絞り染め頭飾品問屋として創業。帯あげ、帯じめといった和装小物以外にも、風呂敷、ショール、バッグ、のれんやゆかたなども製造。オートクチュールのドレス素材にも挑戦し、パリコレへの出展も実現。創業180周年(2017年)を機にヘアアクセサリーcanocoを製作。創業185年(2022年)には絹の抽出成分を利用したオリジナルのスキンケア化粧品を開発上梓。

黄緑の生地に白い花模様の帯揚げの写真

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参考
種田靖夫さん肖像写真
種田靖夫(タネダヤスオ)
絞彩苑種田六代目当主。伝統工芸である京鹿の子絞の数多くの染色技法の継承を目指している。公益社団法人京都府物産協会(京都のれん会)理事。京都大学薬学部薬学科卒業、京都大学大学院薬学研究科修士課程修了、JT医薬総合研究所勤務の後、結婚を機に家業に従事し現在に至る。

目次

なるほどの関係!「京鹿の子」と化粧品

いかつい職人さんでも「手が優しい」

中谷:
「京鹿の子絞」と言えば、帯揚げや髪飾りといった和装の装飾品というイメージですが、なぜ化粧品に取り組まれたのですか?

種田さん:
私はもともと医薬品の研究者だったのですが、妻の家業を継ぐことになり、京鹿の子絞の世界に入りました。

この業界に入って不思議だったのが、体の大きな一見いかついような職人さんでも皆さん「手が優しい」、つまり手がきれいだということでした。それで色々な人に聞いてみたら、「絹を触っていると、こんな手になるんや」と。

中谷:
職人さんは手を酷使されるでしょうから、「手が荒れているのでは」と思っていましたが、絹を扱っている方はそうではないのですね!

種田さん:
シルクの中のセリシンというたんぱく質が、人間の皮膚の中にあり皮膚の滑らかさを保つための成分、「ナチュラルモイスチャライジングファクター」=「天然保湿因子」に非常に似ているんです。「天然保湿因子」は加齢と共に減っていくので、成分が近いセリシンを皮膚に塗ることでアンチエイジングの効果が期待できます。

弊社の京鹿の子絞は絹製の丹後ちりめんの生地を使っているので、職人さんたちの手も自然にアンチエイジングをされているような形になったのでしょうね。

中谷:
実は京鹿の子絞りと化粧品は、近い関係にあったのですね!

種田さん:
「まゆ」のときの絹糸を保護する成分であるセリシンは、製造工程で本来は取り除いてしまう成分です。それを丁寧に、化学薬品を使用せず水のみで抽出して、保湿力の強い高分子のものだけを化粧品にしました

瓶を傾けて手に化粧水をのせる写真

種田さん
種田さん

絹を扱っている方は、「触っているとなんとなく気持ちが落ち着く」「幸せな気持ちになる」とおっしゃいますね。

中谷
中谷

絹は独特のとろっとした手触りがなんとも気持ちいいですよね。それを化粧品として肌にまとえるのですね!

京鹿の子絞から生まれた化粧品
【化粧水】canoco 京都シルキーローション

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天然シルク由来の無香料・アルコールフリーの化粧水。

とろっとした質感とすっと肌に浸透する感覚は、使い続けたくなる魅力です。

絞彩苑 種田
【化粧水】canoco 京都シルキーローション | シルク由来スキンケア

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京都の「絹屋さんの化粧品」

中谷:
シルクの成分から化粧品が作れるとわかってから実際に製造販売に乗り出すまでには、どのような経緯があったのですか?

種田さん:
実は私たちが化粧品に取り組む前に、既に絹の産地でシルクの成分を使った化粧品が商品化されていました。ただ、化粧品の場合は法律上、発売元とは別に製造販売元という表記が必要になります。

製造販売元になるには免許が必要なため、有名な絹の産地で企画し産地由来の成分を使った化粧品でも製造販売元が違う地名になることがあり、残念に思っていました。

私の場合はもともと医薬品の研究員で薬剤師なので、化粧品の製造販売元の免許が簡単に取れます。ですので、発売元と製造販売元の両方を京都の下京区にでき、「京都の化粧品」として売り出すことができる、と思いました。

化粧水の白い瓶と金色の蓋の写真

中谷:
素材も企画も製造販売も、すべて「京都」ということですね!

種田さん:
化粧品事業に踏み切ったのは、「京鹿の子絞」という社業を続けていくために身近なところで別の柱を探していた、というのもあります。

和装離れの中、帯揚げなどの和装小物だけでやっていくのは簡単ではありません。帯揚げは1~2万円で買えるものもある中で、弊社では5万円、10万円、15万円などの高額商品を扱っています。その値段でも商品の良さを認め、買ってくださるお客様がいらっしゃる。そういう良いものがわかる、購買力のある女性の顧客層に、化粧品は親和性があるのでは、と思いました。

中谷:
それにしても、「京鹿の子絞」から「化粧品」に乗り出すのは、やはり勇気のいることだったでしょうね!

種田さん:
「無謀かな」とも思ったのですが(笑)、たまたま私が以前薬品関係の仕事をしていたというのもあり、思い切って挑戦してみました。

また周りを見回してみると、例えば真珠のミキモトさんはパールコスメをやっていらっしゃるし、京都では日本酒の製造元が多いのですが、そこでも酒酵母から抽出した成分で化粧品を作られています。そういう切り口で「絹屋さんの化粧品」として、シルクでもいけるのではないかな、と思いました。

京鹿の子絞から生まれた化粧品
【保湿クリーム】canoco 京都シルキークリーム

【保湿クリーム】canoco 京都シルキークリーム

天然シルク由来の無香料・アルコールフリーの保湿クリーム。

密でなめらかな質感で、肌を包み込んで保湿してくれます。

絞彩苑 種田
【保湿クリーム】canoco 京都シルキークリーム | シルク由来スキンケア

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新商品のチャンスを見つけるために

近くにあるものをヒントに、少しだけ先を行く

中谷:
今回の化粧品もそうですが、新商品開発のアイディアはどこから得られるのですか?

種田さん:
「全く新しいもの」を売ると、大失敗してしまう恐れがあると思います。誰も知らないようなものを作ると、理解されたり、定着させるために時間がかかりますよね。だから新しいものを作る際は、近くにあるものをヒントにするようにしています。

中谷:
なるほど、今あるものの延長線上で、何か新しいものを取り入れていくのですね。

種田さん:
例えば今ある商品でも、色や柄、素材などの取り合わせを変えるだけでも新しい商品になりますよね。ただ、行き過ぎてしまうと支持が得られないので、「ちょっとだけ先に行く」という感覚が大事だと思います

東京で新規参入した際、そちらでは無地や柄のない帯揚げが常識だったのですが、「同じもので勝負していてはマーケットが取れない」と思い、柄物を売り込むことにしました。「帯揚げは無地に決まっている」と言われながらもしつこく売り込んだのですが(笑)、それから2年もすると柄物が求められるようになってきて、今では柄物の方が人気になりましたね。

同じ柄で色違いの帯揚げが積み上げられた写真

中谷:
少しだけ先に行くためには、何が大切だと思いますか?

種田さん:
知人のお土産屋さん曰く、お漬物など、何十年も前から名物と呼ばれているものでも、時代に合わせて味を変えているそうです。定番商品と言われているものでも、少しずつ時代に合わせてカスタマイズされているんですね。

そういう風に、商品の核になる部分をきちんと残しながらも、周りを見回して時代が求めるものを把握し商品づくりに取り入れることが、少しだけ先を行くために大切なのだと思います

業界の常識は日本のびっくり、日本の常識は海外のびっくり

中谷:
その他に、新しいアイディアを得るために意識されていることはありますか?

種田さん:
業界の常識は日本のびっくり、日本の常識は世界のびっくり」だと考えているので、機会があれば海外に行くようにしています。

以前、京都府の職人派遣事業でイタリアのフィレンツェの美術大学に5日ほど通ったことがあります。そのときの授業で、「伝統あるものが残っていくためには、すべて手作業だと勝てないよ」と言われました。最先端の技術を必ずフォローして、それを工程に取り入れなさい、と。ただ、全部をそうしてしまうと大量生産になってしまうので、どこか一ヵ所で、手作業を残しなさい、と。

中谷:
イタリアと言えば、職人の国で手作業にこだわりがあるのかと思っていましたが、そういう風に学校で教えているのですね!

種田さん:
面白い経験でしたよ。授業の中で色々質問をしたのですが、ある一つの質問したときには、「君は馬鹿か」言われて(笑)。

「マーケットをどう考えているか」、例えばどんなグループを対象にテストしたらいいか、と聞いたのですが、そしたら「マーケットは世界じゃないか。なんで限定する必要があるのか」と言われてしまいました。

中谷:
それは凄いですね…!

種田さん:
イタリアでは「マーケットは世界」と捉え、その視点から「製造にいくらかけるか」「リスクは誰が取るか」「会社の規模は何人にすべきか」など、細かいところまで全てを考え抜きます。

「デザイン」という言葉の意味が全然違うんですね。「デザインしなさい」と言われたら、私なら絵を描くことだと思ってしまいますが、彼らにとっての「デザイン」とは、商品の企画から始まり製造・販売から会社の規模まであらゆることを考え抜き、計画することなんです。それを学びなさい、と言われました。

中谷:
世界を視野にいれつつ、細かいところまで徹底して「デザイン」していくのですね。

種田さん:
経済的にうまく回っていくように「デザイン」する術を、彼らは徹底して学んでいます

フィレンツェでの研修中に、私は飛び込みで営業に行ったのですが、絞の製品を見せると「いいね、靴のリボンに使えそうだから生地のサンプルをくれ」と言われました。ただ、広幅の生地を求められたのですが、着物の生地は40cm位の幅なので、「これじゃだめだ」と。「靴のリボンなら細くてもいいじゃないか」と言っても、絶対だめでした。

企業と契約しているデザイナーは会社に対して利益をもたらさなければいけないので、コストのかかる規格外サイズの幅の狭い生地は使えないんですね。素材を採用する立場の人間が、そういう教育を受けています。

種田さん
種田さん

唯一、パリコレなどコレクションのデザイナーだけが、予算もある程度もらえるし、そういう部分も自由にできるのだと思います。

中谷
中谷

利益をもたらす方法が徹底的に研究され、「作る」立場の人もそれを踏まえた上でものづくりをしているのですね!

「京鹿の子絞」を未来に続けていくために

「技術を残したい」のが一番

中谷:
「京鹿の子絞」という伝統工芸を引き継がれた今、未来へはどういう想いがありますか?

種田さん:
この業界に関わった以上は、「技術を繋いでいきたい」という想いが一番にあります。

弊社の創業は1837年、江戸時代の後期で、実はエルメスやティファニーと偶然同じ年の創業なのですが(笑)、創業当初は髪飾り屋さんでした。やがて洋髪が普及して、皆が髪飾りを使わなくなってきたので、着物の帯揚げに移っていきました。

そういう風に、「技術を残すためにアイテムを変えて何かに使うことはできないか」と常に考えています

中谷:
後継者も少ない中、技術を残していくのは大変でしょうね。

黄色い生地の鹿の子絞をつくる職人さんの手の写真

種田さん:
絞の作業というのは柄、色、生地によって手順や難易度が変わります。本来なら弟子入りして技術を一つずつ取得していくのですが、経済的な不安が大きいため、若い人が新しく入るのが難しくなっています。

そういう不安を取り除くには、職人さんを社員にするべきなのですが、京都では職人さんの分業制が非常に細かく敷かれていて、この色ならこの工房とか、染めだけでも数件の工房にお願いしているので、その職人さんたちを全て社員にするのは不可能なんです。

このような体制では、この先さらに後継者を見つけるのが難しくなると思うので、将来的にはインハウスで1から10までできるような仕組みが作れたら、と考えています。

中谷:
職人になりたい若い人がいても、色々難しいのですね。

種田さん:
技術を残していくためには「技術の標準化」、すなわちスタンダードを決めることも必要です。誰でも学べるようにカリキュラム化して免許皆伝を行い、技術を伝えられる方を全国で養成する、という家元制度のようなものもいいのでは、と思います。

職人さんは教えるのが下手な人が多いんです。自身が学んできたように、「俺の背中を見て盗め」という方が多い。でも今、後継者が育たないまま職人さんが辞めてしまえば、これまで受け継がれてきた技術が消滅してしまいます。それではあまりにも残念です。

中谷:
本当にそうですね。カリキュラム化は、どのようにすれば可能と思われますか?

種田さん:
「教える」という作業が入れば、そのためにカリキュラムを作ることになるので、観光と抱き合わせた「体験教室」を通してそれができればいいのでは、と思います。職人さんにとっても教えることが日常になるし、カリキュラムさえあれば、伝えられた技術が消滅することはなく、学びたい人が学べるようになると思います。

中谷:
体験教室はすでに実施されていますか?

種田さん:
染め工房などでは体験教室をされているところもあります。でも、ただ楽しいだけの体験と、技術を残すためのカリキュラムは違うと思います。そのため今のところまだ、私が思う目的と、「体験して楽しい」と喜んでもらうことの擦り合わせがうまくできていません。

そこを乗り越えられたら、何十人、何百人、何千人と体験していただき、その中から一人くらい本格的に取り組みたいという人が出てきてくれたらいいな、と思っています。

経済的に回っていくことが大切

中谷:
「京鹿の子絞の技術を残すのが一番」ということでしたが、他に未来に向けて考えられていることはありますか?

種田さん:
「技術を残す」ためには「経済的に回っていくこと」が大切だと思います。そのために、場合によっては工程の一部を機械化することも考えています。

今、作業を外国に発注している会社が、中国やカンボジアなどで時給200円程度の工賃で作っているとしたら、日本で作る場合、時給が1,000円程度だとすると、5倍くらい効率を上げないと作れないということになります。そう考えると、人材確保も難しくなるであろう将来的には、補助的に機械を入れていかないと成立しないのでは、と考えています

中谷:
イタリアで行われているように、手作業を残しつつ一部機械化も視野に入れることが求められてくるかもしれませんね。

種田さん:
あとは、商品のラインナップを時代に合わせて変えていかなければいけないと思います

京都で生地から作っているとコストが高くなるので、それを回収できるくらいの販売価格の商品を作らなければいけません。和装の場合、着物本体に100万円~200万円払うとしたら、帯揚げなどの小物が10万円だとしても買っていただけますが、単体として10万円で買ってもらえる商品というと、なかなか難しいんですね。

中谷:
canocoシリーズで、モダンなヘアーアクセサリーなども出されていますよね?

種田さん:
ヘアーアクセサリーは創業当初が髪飾り屋なので、「原点回帰」ということで作ってみました。若手職人さんの練習にも、小さいものはいいんですよね。

また、ヘアーアクセサリーは値段は一万円に満たないものもありますが、使う布が小さいので高く売っていることになります。そういう意味では、小さい商品を作っていくのも、京鹿の子絞が生き残っていく道の一つかもしれません

京鹿の子絞のヘアアクセサリーの写真

中谷:
未来に向けて「京鹿の子絞」を残していくためには、色々な工夫が必要でしょうね。

種田さん:
ショップ、ギャラリーなどの形で良い品物を並べて、「ここに来れば京鹿の子絞の良いものが全部見られるんだよ」という場所が作り、観光などと抱き合わせることができれば一番いいのでは、と思います

中谷:
京都と言えば観光ですものね!

種田さん:
「京都」という切り口は大切にしたいと思っています。

私は「京都のれん会」で役員をしているのですが、そこで京都の老舗企業が持っていらっしゃる歴史や考え方などを見聞きすると、やはり「すごいな」と思います。京都の人達が日々の暮らしやものづくりの中で大切に守ってきたものを、「京鹿の子絞」といっしょに広く発信できたらと思っています

参考

京都のれん会(公益社団法人京都府物産協会)
1962年結成。京都府下に本社のある企業で構成され、京都府知事が顧問を務める。国内外での京都物産展開催を通じた京都の物産品の振興や、伝統産業・文化の維持発展・紹介活動などを行う。

京都の町中で二人の着物の女性の写真

種田さん:
のれん会から「海外へ行ってくれ」と言われ、これまで中国の重慶、シンガポール、台湾などに行きました。

食品は賞味期限がありますが、工芸品にはないので、海外を攻めるなら工芸品は有利だと思います。そして工芸品で攻めるには、国内でも他に類を見ないほどものづくりが盛んである「京都」は最適なのでは、と思います。

中谷:
海外での可能性は大きいと思われますか?

種田さん:
日本は不況で苦労していますが、海外、例えばタイなどは購買力が急激に上がっています。国全体の平均値で見ると日本の方がまだまだ上でも、海外の一部の富裕層の購買力は日本の平均値の比ではありません。

その辺のマーケットを視野に入れれば、海外にはまだまだ攻め口があるのでは、と考えています

種田さん
種田さん

「京都のものづくり」として、のれん会といっしょに海外に出ていきたいですね。

中谷
中谷

「京都」ファンの方は世界にたくさんいらっしゃると思うので、これからが楽しみですね!

編集後記

「京鹿の子絞」の未来について、「経済的なものも保証され、『ここに関われば生きていけるんだよ』となれば一番いいと思います」とおっしゃる種田さん。

京都の良さ、京都の伝統工芸の素晴らしさを未来に伝えるためには、ものづくりはこれからどうあるべきかについて、広い視野から考えられていました。

「京鹿の子絞」を残すためのもう一つのエンジンとして化粧品に取り組まれた種田さんが、その柔軟な発想で、伝統の技を未来につなげていってくださることを期待しています!

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