歴史
「木目込人形」の歴史は8代将軍徳川吉宗の頃に遡り、京都・上加茂神社の神官・堀川家に仕えていた高橋忠重が、奉納箱を作った後、余った柳の木片を用いて人形を作り、そこに溝を掘って古い衣装を挟んで着せたのが始まりと言われています。
やがて京都の人形師によって商品化され、当初は賀茂で作られたため「賀茂人形」とも呼ばれていましたが、胴体に溝をつけて衣装生地を木目込んでいたことから「木目込人形」とも呼ばれるようになりました。
1700年頃以降になると、江戸が文化の中心地となったため、京都の職人も江戸へ下るようになり、木目込人形も江戸風に変化していきました。
その後、木だけでなく桐塑も使われるようになり、さらに衣装も豪華なものが好まれるようになっていくことで高級化・多様化が進み、「江戸木目込人形」として確立されていきます。