本記事の制作体制
BECOS執行役員の熊田です。BECOSが掲げる「Made In Japanを作る職人の熱い思いを、お客様へお届けし、笑顔を作る。」というコンセプトのもと、具体的にどのように運営、制作しているのかをご紹介いたします。BECOSにおけるコンテンツ制作ポリシーについて詳しくはこちらをご覧ください。
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優しい淡いブルーから深い紺色まで、海のさまざまな表情を思わせるような美しいブルー。
この「気仙沼ブルー」を一枚一枚染め上げているのが、「インディゴ気仙沼」の代表・藤村さやかさんとスタッフの女性たちです。
今回は藤村さんに、「インディゴ気仙沼」を立ち上げられたきっかけや、唯一無二の「気仙沼ブルー」を生み出すまでの経緯、また藍と向き合う仕事の大変さとやりがいなどについてお話を伺いました!
「インディゴ気仙沼」を立ち上げられた背景を教えてください。
2011年の東日本大震災で、海沿いにある気仙沼は津波に襲われ、また海上火災が起きたため、甚大な被害を受けました。そんな気仙沼で、震災後に小さい子供を持つママたちが集まって、子育てサークルを始めたのがきっかけです。
当初はインフラが整っていない中での情報交換や、親子で楽しめるイベントなどを行っていました。
震災から復興まで、子育て中のお母さんは大変だったでしょうね。
気仙沼は震災より以前から過疎化地域に指定されていて、もともと子育てをしている人たちが少ないところだったのですが、そこに震災が来て、数年経っても十分な情報にアクセスできず、困っているお母さんがいました。
それで最初は「おむつ交換」をどこでできるか、子供を連れていっても大丈夫な飲食店はどこか、などの情報交換の場として、子育てサークルを始めたんです。
その子育てサークルが、どのようにして染色工房に発展していったのですか?
サークル活動をやっていく中で、「イベントも楽しいけれど、子連れで働ける職場がほしいね」という声がちらほら出てくるようになりました。そこで、フルタイムの就業が難しい子育て中の女性の雇用の受け皿として、染色工房をオープンすることになりました。
数ある仕事の中でも、特に「インディゴ気仙沼」として藍染めを始められたのはどうしてですか?
気仙沼は震災をきっかけに世界中で知る人が多くなり、「気仙沼=海=ブルー」と想起しやすい商材になるのでは、と思いました。
二つ目の理由としては、気仙沼で仕事を創っていくにあたって、港町で水産加工や飲食店などを経験してきた女性たちにフィットする仕事は何かと考えたとき、3ヶ月程度の研修で戦力になるような手工業が適しているのではないか、と思ったことです。
三つ目の理由として、震災当時、全国から避難所にさらし木綿がたくさん届けられた、ということがあります。怪我をおおったり、水で濡らして体を拭いたり、色々な用途でありがたく使わせてもらったようなのですが、そのさらし木綿が余っていました。それらを、働く場所が流されてしまった上に小さい子がいて思うように就職活動ができない女性たちが藍で染め、手ぬぐいとして売っていくのが最初のステップになるのでは、と思いました。
藤村さんは、もともと東京でお仕事をされていたんですよね?
はい、2013年に気仙沼に移り住みました。東京では28歳で起業をし、6年間代表取締役をしていました。最初の3年は無給でしたが、後半は納得できる収入を得られる生活で、東京でしたいことはある程度し尽くしたかな、という気持ちがありました。
なぜ気仙沼に来られたのですか?
気仙沼のことは、東日本大震災の映像などを見て気になっていました。何かお力になりたくて、気仙沼の方々が物産展で東京にいらしたときや、インターネット販売で気仙沼の商品を買っては、ホームパーティで出したりしていました。
そんなとき、ある友達が誘ってくれたのがきっかけで気仙沼へ旅することになりました。そこで、後の夫になる人に出会って、気仙沼に住むことになったんです。
運命に導かれたようですね!
不思議ですよね(笑)。引っ越してきた当初は、復興の真っ只中でした。さまざまな人がそれぞれの視点で課題を見つけ、改善のために全力を尽くしている時期だったのですが、過疎化・少子高齢化の地域では子育て中の男女は少数で、人数が少ない分、声が小さく、どうしても復興の過程で優先順位が高くなっていきにくい構造があると思いました。
子育て世代はそんなに少ないのですか?
当時は気仙沼に、高校を出た後の高等教育機関がなかったので、皆高校を卒業したら都心部に行き、20~30代がとても少ない街でした。
慣れ親しんでいた東京に比べ、地域の賃金が低いのも懸念点でした。出産したらすぐまた働かなければいけないのですが、震災後は核家族が増え、祖父母が近くにいなければ子供を預ける場所がなく、どうやって生活していくのか、といった事例をいくつか見ました。
そこで一念発起して「インディゴ気仙沼」を立ち上げられたのですね。
東京で会社を6年経営してから来た気仙沼でしたし、子供を産んだばかりでもあったため、「もう少しゆっくりしたいな」という気持ちがあったのは正直なところです(笑)。ただ、「ここが息子のふるさとであるならば、母として腰を据えて、この土地を暮らしやすくするようなことを自分でしていかないと、かっこいいママにはなれないなー」と思い、できない理由よりも、できる方法を探し始めた経緯があります。
今でも日々課題に直面してばかりですが、あのとき問題提起したり、どうするべきか一緒に話し合ったママ友たちには、本当に感謝しています。
藍染めの勉強はどのようにされたのですか?
最初は図書館に通ったり、インターネットで大学教授が執筆された論文などを読んで勉強していました。
1年で独学の限界を感じたので、藍染めをされている方をインターネットで探して、これぞ!と思う方に「弟子にしてください」と頼み込み、師匠になっていただきました。その方から改めて、基礎から教わりました。
素晴らしい行動力ですね!藤村さんの熱意が伝わったのでしょうね。
師匠は、徳島の藍染めの神秘に触れて魅了され、アメリカの大学院まで行って藍を勉強された方で、日本での藍の歴史を始め、色々なことを教わりました。
藍染めと言っても種類は色々あり、私たちは最初、徳島産の蓼(たで)藍のすくもを使っていましたが、今はインド藍とパステルの二本立てになりました。
すくも(蒅)
蓼(たで)藍の葉を乾燥させ、発酵させたもの。藍染め染料の原料として使用される。
パステルというのは、とても珍しい藍なのだそうですね。
はい、日本では私たちが初めて商業栽培を成功させることができました。気候条件を選ぶ植物で、局所的にこの気候、というところでしか育たないということと、育て方や色素を抽出する方法がアーカイブされていなかったということで、長年「幻の染料植物」と呼ばれていたようです。
そんな幻の植物だったパステルの存在を、どうやって知ったのですか?
最初の頃は、徳島から仕入れた蓼藍のすくもを使って「化学建て」という化学的な媒染を加えた藍染めをしていましたが、「母として藍染めに関わるアイデンティティは何だろう」「母としての強みを藍染めに活かすにはどうすればいいのか」ということを考えていました。
そんな中、子供が生まれてから食べ物の原材料表示には目を通すようになったけれど、身にまとう物はほぼ石油由来のものを着ていることに気がついたんです。
それなら、身に着けるものについても、原材料が土から出てくるのを自らの目で確認したようなものが良いのではないか、farm to table(地元の食材を活用した食事) のように、farm to closet(地元の植物・天然植物を活用したファッション)のようなことをやっていくのが、私たちのアイデンティティなのではないか、と思うようになりました。
身に着けるものも、安全なものを子供に選びたいですものね。
そこで、まずは天然素材での染料のつくり方や管理方法を学び、次に原料自体も自分たちで栽培できるようになりたい、と思いました。師匠に相談したところ、「じゃあ、種をあげるからやってごらん」と言われ、蓼藍の栽培を試みたのですが、徳島のように温暖な気候を好む植物なので、夏が短い気仙沼では思ったほど収量が取れませんでした。
それを師匠に話すと、「そうでしょう?やりたいと言うからやらせたけど、植物なんだから、どこでも育つというわけじゃないんです。それに、例えば宮崎のマンゴーを気仙沼に持っていってマンゴーかき氷をつくったとしても、誰が気仙沼にマンゴーかき氷食べに行くの?」と言われて、なるほど、と思いました(笑)。
師匠には結果は見えていたけれど、あえて身をもって体験させたのですね。
師匠からは、「徳島と同じことをやっていてもしょうがない。だったら、徳島に行って藍染めをした方がいいでしょう。やるなら気仙沼でしかできない藍染めをすること。そうすることで、初めて存在意義が出てくる」と言われました。
それで探してみたのですが、藍染めは27度くらいの温度が発色が一番良く、タイ、ラオス、エクアドルのような赤道直下の場所ではインディゴ産業が盛んなのですが、寒いところでは見つかりませんでした。
それで師匠にまた電話して、「暖かいところにしか藍がありません!」と言ったところ、「じゃあ、時代をさかのぼってみなさい!」と言われました。それでたどりついたのが、中世ヨーロッパで一世を風靡した、「パステル」という植物でした。
たどりつくだけでも、大変な紆余曲折があったのですね!
日本はケッペン気候区分では温暖湿潤性気候とされていますが、局所的に、特徴的な気候の土地もあります。気仙沼は、リアス式海岸と海流の引き起こす冷たい風による寒冷な気候です。
調べてみたところ、中世ヨーロッパでパステル栽培がさかんだった地方は、同じように海流の冷たい風による影響を受ける気候であったことがわかりました。師匠に報告したら、「たどりつくのを待ってたよ」と言われました。
そうして、「幻の染料植物」であるパステルと出会われたのですね!
ヨーロッパで藍染め、というイメージがあまりなかったのですが、実は流行っていたのですね。
パステルによる染色は、しばらくの間断絶されていたんです。それ以前はヨーロッパで流行り、貴婦人達はこぞってパステルで染めたドレスを身に着けていたそうです。
化学染料がなかった時代、染色は茜染めなど自然素材で行われていました。でも、自然界には青いものは存在しますが、青色色素はなかなかとれません。
ラピスラズリを細かく削って顔料にした青というのはありましたが、非常に高価で、青色をまとえるのは皇帝や王様くらいでした。有名な画家のラファエロなどの場合はお金持ちのパトロンがついていたので、ラファエロブルーと呼ばれるような、ラピスラズリを用いた装飾をすることも可能でした。
パステルが栽培され、青色色素がとれるようになってからは、絵画に描かれる聖母マリア様のローブは赤いローブから、パステル顔料を用いた青いローブに変わりました。また、ナポレオン軍の軍服にもパステルが使われたりと、パステルの出現によって高貴な色が、赤い色から青い色に取って代わられるようになりました。
今までになかった色の服を身にまとえるようになったら、皆夢中になるでしょうね。
当時の長者番付でも、上位はパステルを扱っている商人たちが占める勢いだったそうです。パステル御殿というのが、今でもヨーロッパに残っています。
それだけ流行ったパステルですが、17世紀になってヨーロッパとインドやアジア諸国との海上貿易が盛んになると、インド藍という青色含有率が非常に高いインド原産の藍がヨーロッパでブームになりました。
その後、19世紀末にドイツでデニム染めの原料となる化学的なインディゴ染料が開発されると、皆そちらを使うようになりました。大量生産の時代ですね。
皆、より簡単に鮮やかな青が出せる方に飛びついたのですね…。
「青い金」と呼ばれて莫大なお金になり、地域に豊かさをもたらしたパステルも、忘れ去られた時期があったんです。
それをフランスのトゥールーズで復活させたのが、デニス・ランベールさんという方です。アメリカ人なのですが、フランスに移住し、パステルを復活させるために少量の種子から栽培を始められたそうです。パステルは2年草なので1年目は種がつきません。2年目で種がついたものを自家採取して、少しずつ増やしていかれたということです。
そして復活したパステルに、師匠の導きで藤村さんが出会われたのですね!
パステルの存在を知っていた師匠は、「日本でも気候的に合う所があるはずだから、いつか使いたい」と思っていたそうです。そこに気仙沼から問い合わせがあったということで(笑)。
本当に偶然というか、運命に導かれたようですね!
パステルの栽培方法や染料抽出方法などを解明するために、英語やフランス語の古い文書を入手して翻訳し、「パステル」と表記されていなくても恐らくそうだと思われるものを見つけてはトライアンドエラーで再現していき、体系化していきました。
このお仕事をされる上で、大変な点や、やりがいを感じる点は何ですか?
栽培の仕事も、染めの仕事も、自然を相手にしているので、こちらの思い通りにしようとすると無理が生じます。畑には畑の、藍には藍の意思があって、私たちは自然の働きを邪魔しないように添木の役割を全うするだけ。逆に自分の方に引っ張ってこようとすると反発されるし、中に入りすぎても邪魔にされます。
その辺の塩梅、自分の立ち位置というものが、最初も今も変わらず難しく、「つかんだ」と思った瞬間に逃げていくような気持ちになることもしばしば。でも逆に、それがやりがいにもなっています。
いつも同じでないからこそ、面白いのでしょうね。
難解なものって、惹かれますよね。「一生かかっても紐解けない」というところが、楽しみになるというか。自分の好きなようにならないですね。
大変ながらもやりがいのあるお仕事をされる中で、藤村さんが常に心がけていらっしゃることは何ですか?
染める場合でも、畑を相手にする場合でも、自らの持つ技や力の限界を正しく知って、謙虚であることが大切だと思っています。
それから相手が人であれ自然であれ、きちんと相手を観察し、そこから得たヒントや助言に耳を傾けて素直であることも大事だと思っています。
謙虚さと素直さで、道が開けていくのですね!
全体を見ることも大切ですね。目の前の生地や染料の状態にとらわれてしまうことがありますが、お客様が求めている色に全体の構成が合っていれば、細かいところにとらわれすぎないことです。
同時に、基本をおろそかにしてはいけません。染色に使う藍甕や染料の管理、また仕事道具類の手入れなど、基本的な作業をひとつずつ積み重ねていくことが、良い作品の仕上がりにつながります。
全体を見る目を持ちつつ、基本的な作業をしっかり行うことが大事なのですね!
また、藍との会話だけで仕事が完結してしまうのはもったいないことだと思います。あくまでも、すべての工程はお客様の喜びにつながるためにあるので。
そのことを知ってもらうため、新しい染め手には積極的に売り場に立ってもらうようにしています。お客様がインディゴのストールを身にまとった瞬間に顔に浮かんだ喜びの表情を傍で見ることで、「ああ、このために仕事してきたんだな」と実感できます。
そのような真摯な思いでつくられているからこそ、手にとった人にも作品の素晴らしさが伝わるのでしょうね。
あとは「おやつを食べればラブ&ピース」で、毎日おやつを3時にいただいて、仕事への活力を養っています(笑)。
「インディゴ気仙沼」で働いていらっしゃるのは、皆さん子育て中のお母さんですか?
最初は小さい子のいるお母さんばかりだったのですが、今は子育て支援団体や自立支援施設などに仕事の一部をアウトソーシングしたり、農作業など局所的な作業を60代以上の方々にお願いしたりしています。
気仙沼は過疎化地域で、ご高齢者も多い場所です。60代以上の方に面接をした際に、募集記事に「年齢不問」と書いてあっても、実際に職を得るのは難しいという現状を聞きました。
「年金にプラスして、孫にお小遣いを渡すのにあと2~3万あればいいな」というような方たちがたくさんいることに気づかされました。
幅広い世代の女性たちが活躍されているのですね!
60代以上の方に入っていただくと、逆に私たち子育て世代も助かる、というメリットがあります。
そもそも子育てを職場に持ち込む、というのが私たちの試みだったのですが、やってみたら、子供たちがいるとおばあちゃんたちも入ってきてくださる、ということに気がつきました。地域の方たちが朗らかに入ってきてくれて、いっしょに子育てしてくれて、知恵を授けてくれたり、手を貸してくれるようになり、生きやすくなっていきました。
よく「一人の子供を育てるのに8本の手がいる」と言われますが、「現代の生活環境で、どうやって8本の手を確保するの」と思うこともあります。両親も共働きで片手くらいしかないというときに、地域のおじいちゃんおばあちゃんに、「抱っこしていてあげるから、仕事してけらい(仕事してきなさい)!」と言ってもらえると、どれだけ助かることか。
仕事と子育ては切り離すもの、と思ってしまいがちですが、実はいっしょである方が自然なのかもしれませんね。だから自然におばあちゃんたちが助けてくれたり、血はつながっていなくても昔の大家族のように、お互いにいい感じで支え合うという形になってきたのでしょうね。
孫がいても離れて住んでいてなかなか会えないおじいちゃんおばあちゃんたちも多く、小さい子供たちの相手を喜んでしてくれるので、お互いに嬉しい関係になっているのでは、と思います。
これまでも素晴らしい成果を収められてきた藤村さんですが、これから挑戦されたいことはありますか?
これまで「インディゴ気仙沼」では活用していなかったパステルの部位を使った、食品の商品化に今年から取り組んでいます。
もともと、インディゴ植物=藍はハーブなので、食べたり、民間療法に使ったり、布を染めたりと色々な使い方があります。今までうちでは葉っぱから顔料を抽出していましたが、これからは、葉と根を食品として出していきたいと思っています。
藍が食用とは知りませんでしたが、ハーブ、と言われると納得ですね!
パステルの葉は「大青葉」(だいせいよう)、根は「板藍根」(ばんらんこん)と呼ばれ、中国や台湾ではポピュラーな漢方・生薬です。今年はパステル全草を使ったお茶を、初の国産品として製品化していく予定です。
「インディゴ気仙沼」を世界に売り出していきたいという希望はありますか?
母親として半径1mの「困った」を解決するために発足したので、そんな大それた野望は持っていません(笑)。
子供たちのふるさとである気仙沼が将来も続いていくためには、商圏を拡げていかなければいけないというのはありますが、それが一番の目標ではありません。
「気仙沼に、100年後も続く地域産業を子供たちに残す」というのが、当初から変わらず目指すところです。
最後に、お客様へのメッセージをお願いします。
古来より日本や中国では、藍の根や種を煎じて消炎・解毒・解熱に使ったり、花や葉っぱの絞り汁から湿布をつくり、虫刺されや止血処理の際に使ったりしていました。藍は青を生み出す染料としてだけではなく、身体を整える薬草として、人々の生活に溶け込んできました。
そんな藍の葉を使った藍染めは、なんといっても美しさが身上。「藍」とひと言でいっても一色ではなく、染め方や染めたときの気温・湿度によって、「藍四十八色」と表現されるほど多様な濃淡の藍があらわれます。
私たちは藍甕と向き合い、藍のその日の調子を五感で感じながら、どのアイテムを何枚、どの色味に染められるかを判断してその日の染めに取りかかります。今でも定期的に他工房にも通い、持ち帰った技を東北の気候にあわせてアレンジして、気仙沼でしか出合えない「気仙沼ブルー」の発色を目指しています。
ぜひ、海に抱かれた小さなみなとまち・気仙沼のブルーをまとっていただければ幸いです!
海を思わせる美しい青色の「気仙沼ブルー」の生みの親・藤村さんは、目の前にあるものをしっかり見据えながら、子供のふるさとになる気仙沼が100年後も続いていくように、一歩一歩、着実な歩みを進めていらっしゃいました。
藤村さんと「インディゴ気仙沼」で働く女性たちが丁寧に染め上げた、唯一無二の「気仙沼ブルー」。優しさと強さを兼ね備えたブルーを身にまとい、そのストーリーに思いをはせてみませんか?
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